日常を「開く」ということ

2019年2月16日土曜日

レポート小説の第一回に入り切らなかったので会場にまつわることを少し。

みおちゃんのブログのエントリーがとてもいい感じ

商店街に行ったときの行きやすさと、この家で催しを開いたときに思ったこと。


僕以外の人はもっとはやく気づいていたのかもしれないけれど、はっきり自覚したのはぼくが長いレジュメを子どもがいることの

だから子どもがいる場で大人が声をやり取りする場合、思っているより声を張らなくちゃならないとか、授乳や乱入で予想外の小休憩や体勢や場所の移動をすることになる。ビデオ通信のためにネット環境を整えたから音声のタイムラグは限りなく少ないけれどないわけじゃないし、相互に画角が決まっていて見えにくさもある。けれどそれらは大した問題にはならなかった。



こういうことは日常と切り離された空間を会場にしたら必要がなくなる。



が声が聞きにくいとか確かに困ることがある。少し声を張らなければならなかったりあまりに当り前のこととして開かれているからか、影響や問題があったとしてもことさら取り上げられることはなかったけれど、開催前の不安定さは間違いなくそのことが影響しているし、