「書く通年講座」レポート小説 第8回(最終回)

2019年10月22日火曜日

通年講座レポート小説

 講座が終わったあと、夕食までの間、Ⅰ歳になったばかりの新くんの様子が落ち着いたのを見計らって、近くのスーパーに買物を行こうと大谷さんと目配せをして、歩いて10分くらいの道を歩いていく。

 新くんは最近よく熱をだして通い始めた幼稚園を休んでいたらしい。通いはじめのころ、「ようやく生活のリズムが出てきてやりたいことが進められそう」と言っていたから、仕方のないこととはいえ、澪ちゃんも大谷さんもちょっと疲れているように見えた。講座の企画をしたのはちょうど一年前くらいで、その頃はまだ新くんがアトピーだと診断される前だった。会場となるまるねこ堂に置いてあるものも、その配置も今とはずいぶん違った。

 「もう出せるものは出し尽くして、人に教えてる場合じゃないんだよね」
 「ほんと、大変な時期に大変なこと始めちゃったよね、今考えると」

 何事においても、バカが付くほど真面目に取り組むこの人のことを僕は分かっているようでほとんど何も分かっていない。この人が次に何を言うのか、予想がつかないし、ドキリとするような言葉がいつ飛んでくるかわからない、と思うくらいの確率でそういうことを言う。

 言葉で何かを表現するということは一人ひとりにとって全く違う体験ではあるけれど、表現しようとするときに何が起こり、それをどう突破、あるいはどう捉えて書き続けるのかというのは実際に書いた体験から言えることが多々ある。登る山が全く違っても、山を登るときに何が起こるか、どんな装備が使えるか、やっても意味がないことは何か、何をしたらいけないか、というのは共通性の届く範囲に限られるけれど言うことができる。その範囲が広い人のことを講師だというのだと、大谷さんは考えている。

 この一年の変化はもちろん大変なことばかりじゃなかった。僕から見た彼は、文章の家庭教師の生徒が三人も見つかり、定期的に開いているイベントも着々と人が集まるようになってきた。講座で出された文章は文句なく面白くって、通年の講座の中で起こっている出来事としては悪くない。そんな状況だからこそ、焦りとも悩みともつかないことを言う。

 勢いやのりで乗り切るようなことじゃなく、乗り切れるようなことじゃなく、悲鳴をあげる筋肉を動かしながら一歩ずつ、どこまでも行くこと。それをしている人、しようとしている人の姿には勇気づけられるし、じゃあ自分はどうなんだという問いが突き刺さる。「残すところ合宿だけです、みなさんがんばってください」と言うだけで本当に長い距離を歩いてきた人がきたときに、対等に話せるのかということだ。

 「契機を掴む」という吉本隆明の言葉は本当に本質をついていて、この人が詩人だったことを嫌でも思い出させる。掴むか掴まないか、握るためのものは目の前にある、ただし指の運びや力の加減を間違えれば空を掴みかねない。それが億劫だし、億劫なことをした挙げ句空を掴むなんて馬鹿な真似はしたくない。いや大抵の場合空なんてつかまない。空っぽだと判定し、判断しているのは自分自身でしかない。

 この講座も残すところ合宿だけになった。

おわり
 
第7.1回 講座の後で
第6回番外編 古代詩の音読 参考とやり方
第5回(2) 言語美ゼミ
第5回(1) 音読の時間 
第4回 その一  
第3回
第3回レポート その二
第1回レポート