場所を決め時間を区切り、ただ話したり聞いたり黙ったりする場。「季節を刻む言葉の場所」として、ぼくなりの形で新しく改めて始めます。
巡っていく四季のように、人が生きる時間の季節もまた移り変わっていくものだなと思います。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、過ぎていく時間の中で言葉を刻む場所を年に四回ほど。
音としての声もまた形に残らず流れていく中で、言葉は時間と場所に刻まれれます。時間と場所というのは、決められた場所と時間に集まった人の、ただ一人だけの時間と場所のことです。その基底に響くのは、聞こえない音としての声、つまり言葉の根っことしての沈黙です。
その人が居るという出来事はまず、響き合う時間と場所の雰囲気として、それぞれの中に刻まれます。そして、見えもせず、聞こえもしない人と人の時間と場所が、真空を切り裂く言の葉として音に乗り、それぞれの世界に像を結ぶとき、それははっきりとした形をともなって、それぞれの時間と場所の中に刻まれます。
わざわざこんな場を開かなくとも、そういうことを人はやっているのだし、やったところでなんの役に立つわけでありません。でも、だからこそ、意味や効果がないにもかかわらず、無常に流れていく季節の中で言葉を刻む場所が世界にあったら、なんというか、そんな世界はちょっといいな、と思っています。
おしゃべりではないし、人を惹きつけるような話もできないぼくですが、そうして刻まれる言葉を見ることだけは、いつでもどこでもずっとし続けていて、たぶん死ぬまでやっます。「ちょっといいな」と思える世界を作るようなこの場所もきっと。
【日程(2019年)】
4月6日(土)
巡っていく四季のように、人が生きる時間の季節もまた移り変わっていくものだなと思います。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、過ぎていく時間の中で言葉を刻む場所を年に四回ほど。
音としての声もまた形に残らず流れていく中で、言葉は時間と場所に刻まれれます。時間と場所というのは、決められた場所と時間に集まった人の、ただ一人だけの時間と場所のことです。その基底に響くのは、聞こえない音としての声、つまり言葉の根っことしての沈黙です。
その人が居るという出来事はまず、響き合う時間と場所の雰囲気として、それぞれの中に刻まれます。そして、見えもせず、聞こえもしない人と人の時間と場所が、真空を切り裂く言の葉として音に乗り、それぞれの世界に像を結ぶとき、それははっきりとした形をともなって、それぞれの時間と場所の中に刻まれます。
わざわざこんな場を開かなくとも、そういうことを人はやっているのだし、やったところでなんの役に立つわけでありません。でも、だからこそ、意味や効果がないにもかかわらず、無常に流れていく季節の中で言葉を刻む場所が世界にあったら、なんというか、そんな世界はちょっといいな、と思っています。
おしゃべりではないし、人を惹きつけるような話もできないぼくですが、そうして刻まれる言葉を見ることだけは、いつでもどこでもずっとし続けていて、たぶん死ぬまでやっます。「ちょっといいな」と思える世界を作るようなこの場所もきっと。
【日程(2019年)】
4月6日(土)
6月8日(土)
9月7日(土)
12月7日(土)
【時間】
11時00分から17時
12月7日(土)
【時間】
11時00分から17時
【流れ】
最初に聞くことと話すことについてのお話をします。
昼食を挟んで終わりまで話したり聞いたり、黙ったりしながら過ごします。
【参加費】:3000円(昼食代込み)
昼食を挟んで終わりまで話したり聞いたり、黙ったりしながら過ごします。
【参加費】:3000円(昼食代込み)
【定員】6人程度
【場所】スペースひとのわ(滋賀県大津市北比良970-174)
https://spacehitonowa.blogspot.com/p/blog-page.html
※zoomによる遠隔参加も可能です。
【主催】小林健司
申込みは、小林まで(kkenjik@gmail.com)までメッセージかメールで。
※zoomによる遠隔参加も可能です。
【主催】小林健司
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