【8】出産にみる「所づくり」 まるねこ堂と並べて

2018年11月9日金曜日

所づくり


「所づくり」についてはこちらの記事で書きましたが、


その力を発揮する場面の一つは、もっとも原始的で太古の昔から連綿と続いてきた人を迎える場面である出産です。
自分で体験し、そして周りで出産を経験した夫婦からの話を聞くにつけて、それ以前には影も形もなかった新しい生命を自分たちの暮らす生活空間にお迎えするというのは、一大事だとつくづく思います。

一度産まれてしまえば、それ以前の「二人の暮らし」というものは無くなり、三人での生活が始まります。しかも子どもの成長は当たり前だけど止まらないし戻らないから、そこからノンストップで新しい命が育っていくのに合わせて日常を営んでいくことになるわけです。

家が建って一年も経たずに出産を迎えたぼくたちは、基礎から手作りとはいえ、暮らしや生活という面ではまだまだ手が届いてないところが多く、その点でとても苦戦した、というより思いっきり育児に追われて流されて、あやうく二人ともどもダウンするところでした。危ない危ない。

出産直前、助産院へ向かう前にこんなときこそ落ち着こう、と
記念写真のつもりでとったけど、緊張感がすごい。。


まるねこ堂の場合

一方、ぼくの知るところ「所づくり」において日本有数(ナニガ?)の「まるねこ堂」では、この9月に同じように第一子が産まれたのですが、出産二ヶ月後の今は、大谷さんみおちゃんも以前にもましてブログを更新したり催しを開いたり、新くんの誕生を期にいっそう二人らしい営みが育っているように見えます。

これには単純にすごいなーと思ったのと同時に、実は「やられたな」と嫉妬に近いくらいの感情を抱いたりもしてました。

自分のことを振り返ったらそんなことは不可能に近いのになぜ?と。
っていうか、人によってそれほど出産って大変じゃなかったりするの?と。
いやいやそもそも、ぼくらが出産を大事で大変なものとして扱いすぎてたのか!?と。

まぁ、でも出産ほど二人の関係と、産まれてくる子、そして住んでいる場所によって変化するものもないわけですから、言わずもがなのことですがそれぞれの出産は唯一無二、ワンアンドオンリーで、どっちが良いとか悪いとか、優劣つけて嫉妬するなんて、ちょっとへんてこな話なわけです。

ところが、そうやってある種似ていて、けれどぜんぜん違う出産の体験を並べて見てみることで、ちょっと見えてくるものもあって、それぞれの部分もあるけど一つ確かなこととして言えそうなのは「所づくり」という観点からは言えそうだよな、と思ったのでした。


まるねこ堂の変化

ということで、まずは大谷さんとみおちゃんがどのように「所づくり」してきたのか、勝手に紹介しつつ見ていきましょう。

ブログより転載。(ほぼ)今のまるねこ堂のメイン?スペース。

(ほぼ)今の工房スペース



ぼくが初めて「まるねこ堂」に言ったのは2012年だとおもいますが、その頃はまだどちらかというと雑然としていました。

壁に漆喰を塗る


そういえば、壁の一部はホワイトボードになるような素材のを塗ったっけ。
結局なぜかインクが滲んで消えが悪く、普通の漆喰になったんだけれど。


こちらは2013年7月の写真ですが、この頃はのちに「工房」となるスペースもまだ多目的室くらいの感じで、今とは玄関の位置さえ違います。

このときくらいから家にあるものをどんどんと捨て始め、物置や椅子、机だけにとどまらず畳や壁紙(すべて剥がしてペンキや漆喰を塗ってました)にまで及び、キッチンの収納扉を外したり、カーポートの屋根を外してぶどうを育てたり猫との住み分けの仕切りを付けたり、4,5年かけて今の形になっていきます。すでに子どもが産まれて最初の写真からも変化していってますが、これからもどんどん形を変えていくでしょう。


工房が工房っぽくなってきたところ

所づくりに注ぎ込むもの

ここまでなら、家庭菜園も含めたリフォームやDIYといったところだけど、実際この4,5年でまるねこ堂には多様な人が訪れる人数が増えてきている、らしい。もちろん一気にたくさんではなくて、少人数がちょこちょこと来る感じ。

もちろん、一人で住む家ならまだしも、二人で住む家をこれほど大きな手間ひまをかけて、ある意味大胆に変化させていくというのは、作業という意味だけじゃない大きな労力が発生する。

それが「諍い」で、「いさかい」とは「居境」のこと(と勝手に言っます。正式な語源は知らないけど言い得て妙なのでそういうことに)。いる場所の境を巡って人はよく諍いを起こす。曰く「ここはぼくの場所だ(これが俺のやり方だ)」「ここはわたしの場所だ(こういうやり方は嫌だ)」

ぼくとなっちゃんのようなケンカとはまた違うのだけれど、最も激しい諍いの一つ(だと思われる)に、ぼくはなぜか居合わせたことがあって、夜の9時か10時から始まって夜中の3時くらいまで寝ないでいるのには(ぼくは時々寝ながら聞いてた)思わず「いいかげんとにかく寝ろ!」とだけ口を挟んだ記憶がある。

数日や数週間ではなく、基本的には毎日、毎年、ずーっとそこで日常を営んでいく所をつくっていくというのは、その日常の営みも含めて変化していくことが含まれている。四六時中いる場所の営みには、ケンカの回でも言ったけれど幼少期までの体験にまで遡れるほど自分では意識できない領域も含まれているから、誤魔化さずに形にしていくというのはそういう意味での労力が発生している、ということ。

だからそんなこんなを乗り越えてのハードとしての所と、人が住んだり集まったりするソフトとしての場、が一つの「場所」として機能したときには、結構な力が発揮される。


出産で試されたもの 意志を持ってとどまること


大谷さんはこういうことを最初は言葉にならないような方向感を持って、最近はかなり自覚的に所づくりをやっている。
家にいる人数が多いこと、それだけ多くの営みがなされる。その営みの大きさが、家のハードもソフトも豊かにしていく。家を維持し、より豊かにするのは、修理代や改築費といったお金ではない。どれほどのお金があろうと、人のいない家は貧しい。営みのない家に豊かさはない。【467】だいたいずっと家にいる。豊かな生活のために家に居ること。(生後50日目)

話を聞いてみれば、大谷さんとみおちゃんも子どもが産まれてからは人並みに大変だったとか。(そりゃそうだよね。)ブログも日々の家事や育児に追われたままだと時間が流されていくのを食い止めるという意識から日々更新しだしていて、なんだ基本的な大変さってそんなにかわんないんじゃん。

それでも二人は生後一月もたたずに七輪でホルモンを焼いて食べたり、お客さんを迎えたり、きっかけはどうあれブログを書いたりしている。これってまず「所」にかけてきた時間や積み重ねが大きいなーと思う。

ぼくとなっちゃんの場合も、出産という経験自体に傷んで外の出入りまでは積極的になれなかったけれど、営みという意味ではこの一年でずいぶん豊かになってきているし、写真を見てみてば家族三人でいろいろしてきたな。

30年ぶりの大雪に乗じて特大かまくら作りもしたっけ

でもたぶん、ぼく自身にとってももっとも大きな違いは、「家という場所を豊かにする」という覚悟とか意志、みたいなものだったんじゃないかと思う。

なんでもやる気の問題とするような雰囲気で20代働いて、その弊害はしっかりと身体に刻まれて知っているけれど、(今思えば)子どもが生まれるという不安さに動かされて出産直前から不定期で入れるバイトに一年ほど行って、終盤に感じたのはぼくのエネルギーをどんどんバイト先が良くなるために使っている感覚だった。

あーこういうことがしたいんじゃなくてそもそも比良に来たんだった、と大谷さんやみおちゃんの姿を見て目を覚まされる思いがした。

そう、この場所で、この家を、豊かにすることで暮らしを営み続けていけるような、そんな道を行きたいのだったと自分の中の意志がはっきりとしてきた。誰のものでもない自分たちの場所に、持てるものをすべて注ぎ込んで、何ができるのか見たみたい。

ということで、このブログも一つの所づくりだと思って続けてます。