【2】二日目にしてブログ存続の危機。と思いきや夫婦喧嘩の根本の考察

2018年11月3日土曜日

ケンカ

今日は玄関の改築のことを書こうと思っていたのだけれど。。。

 半年くらい前から玄関と南側のデッキ部分の改築をすると決めていて、最近になって工事に取り掛かっていた。ところがやりだすと手を何針も縫う怪我をするわ、癖になっている腰痛が悪化するわで全然思うように進まない。

 仕方ないからデリダの本を読んだり、ゲームをしたりしてはやる気持ちをそらしていた。腰痛にはデリダの本がすごくいい話とか、ゲームってやっぱり面白いよねおすすめのゲーム紹介するよ、なんて記事も書きたいのだけれど、そういう気分ではなくなってしまった。※1

 我が家の不定期恒例行事とも言えるケンカが勃発したから。

 「恒例」ではあるけれど、それは外から見たらという話で、その時起こる諍いは毎回唯一無二だし、やり過ごしたりとってつけたルールをこしらえたり、表面的な言葉で謝罪や和解を切り出して終えられるほど我が家のケンカは甘くない。基本的に両者がスッキリ爽快に関われるようになるまで停戦はあっても終戦はない。

 ので、結構しんどいし辛い。

 ケンカの根本的な構造はとてもシンプルだ。
 「お互いに見ている現実が不快さを伴ったずれ方をしているから。」

 基本的に人というのは多かれ少なかれ違った現実を見ている。同じ場所、同じ時間を過ごしても、ぼくの見ている世界とあなたの見ている世界は違う。それも結構違う。

 だから見ている現実が違う、ということには力点はなくて、”不快さ”の方にポイントがある。

 この不快さの根っこは、辿ろうと思えばそれぞれの幼少期の経験にまで行き着くことができて、どん詰まりからの大どんでん返し的にそういうことが発見されるようなケンカも多々あったし、そういうときの発見は相手なくして見ることのできなかった自分(の幼き日の姿)とか、そのケンカがなければ聞くことのなかった相手の世界の一端を知ることができてかけがえがない。
 
 でも人って疲れたり、眠かったり、お腹が減ってても不快さを感じる、じゃないですか。伊吹くん(一歳4ヶ月)なんかは今日はご飯食べながらどんどん不機嫌になっていって、最後はスープのスプーンを振り回してそこら中を汁まみれにしながら癇癪を起こしてたんですが、もうとにかく泣きわめいてる彼から必死でスプーンを取り上げて(もっと泣く)そのあとなっちゃんがおっぱいをあげたら電池切れで即就寝でした。

 不快さの原因、とかって考えると固定された一つのものを浮かべがちだけど、今日の伊吹くんで言えば、寒い中で遊ぶ(疲れる)、夕方お腹減る、食べたら眠くなる、こういう変化の中で「こうしたいな」「これは嫌だな」ということが発生して、できたりできなかったりして、そういう総体を快だったり不快だったりとして受け止めてるんだなってことが彼を見てるとよく分かります。

 で、僕らのケンカの発端となったのが伊吹くんのこの一連の癇癪だったんですが、そもそも快や不快をなんの手加減もせずに全力で動き回ってる人がいる中で、日中大工仕事やら家事やらをしている時点で、結構”疲れ”てるよね、ぼくら。。

 ということに気づいたのがいま時点(深夜四時。一回寝て目が冴えたので起きて書いてます)。

 疲れがたまるほど、お互いのことを気遣って、余計にしんどくなって、結果お互いに「気遣っていろいろしてんのに余計にしんどくなるんかい!」と怒りをぶつけたり、愚痴をこぼすのがぼくらのケンカではよくあるけれど、今日はまさにそれだったな。

 ぼくで言えば、日中の工事で疲れてるのにブログを更新しようと、ちょっと無理していたり、なっちゃんも一日息吹くんといて夜に疲れがたまってきてて、すこし頑張り過ぎていたみたい。

 結論。しんどいときはしんどいっていいましょう。育児にもこういう視点って大事。

※1
 全然そういう気分じゃないのに、というか今回だったらケンカという自分にとっての一大事が起こっていて、他のこと全部どうでもいいわ!ってなっているのに、そういうことが無かったかのように良いことだけを記事にする、というのはここではしたくない、と思っている。それも結構強く。前回の記事に書いたことともつながるけれど、そういうやり方じゃない「ナニカ」をここでしてみたい。
 こういうやり方は”しんどい”し、瞬間的にはつかれるけれど、長い目で見て自分やこの場所の「生気」を養っていくと思っている。