「書く通年講座」 レポート小説 第1.9回

2019年3月6日水曜日

通年講座レポート小説

夢を見た。会場はまるねこ堂ではなくて、ぼくの叔父さんの家で参加者の顔ぶれも違う。どうも通年講座のまっただ中。最初か最後か途中なのかは分からないけど、一言ずつ話す順番が迫ってくる。隣の大谷さんが話し終えてぼくの番になる。ぼくは「主催」であることを今から述べなくてはならない。その必要があることがその場の空気なのか直前までのやり取りなのかわかる。
「主催というのはこうして集まる場が生まれるきっかけをつくった人で、人なんだ」
馬鹿みたいに、同じようなことを何度も力を入れて繰り返す。誰かに何かが伝わっているだろうか。ぼくは、この場に居ても良いんだろうか。

右指の怪我の回復は予想していたよりはるかに思わしくなくて、指先の骨がくっつくかどうか様子を見ていたはずなのに、レントゲンでは指先の骨が溶けてなくなっていた。くっつく側の骨も化膿して溶けかけていたから、すぐに点滴を打って大量の薬を出される。骨を固定するために指先から刺していた針金を抜いた痛みが、予想外の事態をどう受け止めるかと考える余地を圧迫して流されていく、ただ流されていくことさえ頑張らないとできなかった。

指の骨が今も溶けてなくなっているかもしれない。と思うとゾッとするような、大切な宝物が壊れていくように切なくて、なにもかもが間違っていてなにもかも投げすてたくなる。医者はこうなる可能性をどのくらい知っていたのだろうか。知っていたなら伝えなかったことが、知らなかったのならその無知が、怒りを投げつけるべき的になって次に会ったら何と言おうか。

通年講座のグループチャットには、ぼくの気分とはまったく無関係に精読講座の文章がアップされ、言語美ゼミのレジュメがアップされる。クリックする。文章を読む。レジュメを読む。今この状況を知らずに勝手にアップされていく文章を読んでいるのはただ面白い。身に迫る最悪の事態と最悪の気分は何の目減りもしないまま、明日の通年講座を楽しみにしている。

翌朝。出かける直前にケンカをした。荷物を車に詰め込んで退屈し始めた伊吹と玄関で待っていると、昨日会場で炒めればいいね、と確認した鶏肉をなっちゃんが炒めていて
「なんで今してんの??」
と少し、けれどなっちゃんにとってはかなり、怪訝な顔をして聞いていた。
「そんなきつい言い方しないでよ!」
と言われるのがきつくて、あとは売った買ったのケンカの世界。車に乗ったぼくは地面とこすれる気持ちを引きずって会場へ進む。

なにか一息入れておきたいと思って、会場から10分ほどのコンビニに立ち寄る。こんなとき話をしてもろくな結果にはならない、むしろ悪化すると分かっているけど、それでも可能性をあきらめられずに話しかける。講座の直前で料理をするのがどうかとおもって。という言葉をよくよく聞けば、気を使うというより直前に料理をする気にならないから家でやりたかった。ということらしい。少し状況が分かったのと同時に、なんでそれを冷静に返してくれないのか、反射的に聞いていた。応えは傷口に染みる強さで返ってくる。

ここからさきはよく知っている。「わたしの言い方が悪いんでしょ」「私が全部悪いんでしょ」というやつだ。二人の間に起こったことなのだからそんなことはありえない。でもどうしようもない。ぼくの言い方も悪かったのかと思い直して、丁寧に「ただよく分からなくって」というニュアンスで聞き直す。
「だから結局わたしの言葉が足りなかったってことでしょ。はいすいませんでした。」
子どものような売り言葉を、またしてもぼくは盛大に買ってしまう。冷静な意識に限界がふれて、お土産に用意していた大量の夏みかんからいくつかを手提げに詰めて歩き出す。まだ2時間ある。ここからなら歩いてでもつくだろう。

右指の傷がうずき出す。3月らしくない暖かさはありがたかったけれど、今の体には日差しが強すぎる。帽子を持ってこればよかった。思うより歩くペースが遅い。このまま会場につけなかったらどうなるだろう。正直、たどり着くのは難しいかもしれない。大谷さんがいればきっと講座はなんとかしてくれるだろう。説明すれば怒ったり、あきれたりするような人じゃない、残念だけど仕方がないと言ってくれるだろう。思ってくれるだろう。だからもし、行かないとすれば、ぼくがぼくのことをどう思うか、その一点が問題だった。

後ろから誰かの声がする。なにか物でもおとしたろうか。
「けんちゃん、お願いだから乗って。」
先回りしていたなっちゃんが言う。怪我がなければ無視して歩いたかもしれない。今だって、意地に張り付いてでも歩いてやろうと買ったケンカがそうさせる。でも今のぼくにとって、会場にたどり着くことがすべてで、そのためにできることは頭を下げてでもお願いするべきことだと、頭の先からつま先まで知っていた。
「お願いします」
とつぶやくように言う。車につくと伊吹の泣きごえが聞こえた。

もう腹をくくろう。何かに遠慮したり。やってはいけないことを自分で勝手に決めないで、覚悟を持って考えて、覚悟を持って言葉を使おう。車に乗ると脈絡なく腹に力が入る。「私が悪かったから、とにかく行こう」と車を出そうとするなっちゃんに、「本当にそう思っているの」と思わぬ強さの言葉が出る。
「結局わたしだけがわるいっていいたいの?」
あきれた笑いを浮かべてる。でも、もうどう思われたって良い。ぼくは前からこうなったときのなっちゃんが、ぼくを怖いと思ったり、ぼくの言い方が怖くなって、必要以上にうろたえたり、怒ったような攻撃的な言い方になることを、あきらめてしまっているんじゃないかと伝える。

なっちゃんから見たらぼくに対して言いたいこともあるだろう。端から見れば見え方は全然違うだろう。けれど今そんなことはどうでもいい。ぼくが今、どう思っているのかをできるだけ底の底まですくいとって言葉にすること、それだけができることだと思った。
「そうですか。わたしが問題で、変わらないといけない人ってことね。」
ぼくはどう思われても良い。けどそれは違う。どうすればいいとか問題が何かとか、そんなことじゃ何一つ良くなりはしないとなっちゃんだって知っている。でもどうしていいのかわからない。どうしようもない。それも分かる。

だからといって、そうやって育ってきたから、そうして生きてきたから仕方のないことで、何もできないというのも違う。少なくとも何が起こっているのかをよくよく見ようとする意思がなければ、それは本当にどうしようもない事実になってしまう。なっちゃんとぼくの間で起こることについて、ぼくができることはもうやり尽くしている。きっとまだまだ気づいていないこともあるけれど、意思を持って見るべきことはこの数年で見尽くした。それでもなお、こんな事態がたびたび起こっていて、そのたびに「こうやって生きてきたんだから」となっちゃんは言う。

その人の生きてきた時間を、他人がどうのと言うなんてばかげてる。まして変われだとか変えろなんてくだらなくて言いたくもない。そう思っていた。けれどこれは、ぼくとなっちゃんの間に何度も起こることでもあって、こういってしまえるなら、なっちゃんの人生そのものが、今のぼくにとってもっとも大切で身に迫る問題だ。ぼくが提案し、お薦めできるのは書くことくらいで、なんでもいいからとにかくこのことについて書いてほしい。ぼくの切実な、身を切るような願いを、なっちゃんは
「ん。書いてみる」
と独り言のように応えた。

まるねこ堂についたのは12時半近くで、ケンカしたことを言うと、それやってる間にこっち来てゆっくりご飯食べれるよ、と笑っていた。炒めた鶏肉は冷めても予想外においしくて、何事もなく、怪我のこともケンカのこともまったく関係なく2回目の通年講座が始まろうとしている。楽しみだという気持ちは昨日から寸分も変わっていない。トイレから戻るともうZOOMの通信がつながって大谷さんと木下さんが画面越しに誰かと話していた。

第2回へつづく

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