【30】日記 デリダゼミ終わり 黄檗ー比良間 書くことについて考える

2019年1月6日日曜日

日記

まるねこ堂ゼミを終えてJR黄檗駅で電車を待つ。人気のないホームにすべりこんできた扉が開くと、席が埋まっていて車両を移動する。幸い隣の車両の中腹あたり、イギリスだかアメリカから観光に来ているのであろう家族の横に空いている席があった。しかも隅っこの席が。

1月の夜道で冷えた手に息を吹きかける。無性に何かを書きたくて買ったばかりのポメラを開いて文字を打ち込む。真横に座っている金髪の子どもが画面を横目で見ているのが分かる。まさか自分のことが書かれているとは思ってもいないだろう。ぼくも彼がKindleで熱心に読んでいるそれが何なのか見当もつかない。きっと日本人の30代の男が電車で小説ともエッセイともつかないような何かを書いている、なんていう文章を読んでいるんだろう。


思えば僕は書くための条件を整えることにかなりの力を注いできた。きっとある程度はそれも重要なことだろう。ポメラを買ったことは飛躍的に書くことのハードルを下げてくれている。けれどポメラが到着してから数日間、忙しかったとはいえこうして何もないところへ向かって船をこぎ出すように何かを書くということはしなかった。しようとはしなかった。


ぼくにとって書くことは、一昨日の餅つき会と似ている。

特別に多くの人が集まるようなイベントにするつもりなどなかったし、そもそもいつできるのかの当てもなかった。それをなっちゃんがやりたいと口にしたとたん、近所の家の物置から杵と臼はもちろん、上等なセイロや餅を広げる木箱、ひしゃくやタワシまでついているフルセットの餅つき用品がやってきた。当日になったら近所の知り合いはほとんど顔を出し、少し離れた知り合いもふた家族ほど集まった。

会場となったうちのに庭にあったのは、防水シートが張られた壁の内側に床板を張る木材がむき出しになった作りかけの土間で、朝まで壁にかけてあったブルーシートが折りたたまれて片隅に転がっていた。人が集まる会場としてどうなんだろう、という一抹の不安はあったけれど、だれもそんなことを気にしている様子はなく、むしろそれぞれ勝手に作りかけの会場を満喫して帰って行った。

原理的に、人が集まることと会場が整うということに、それほど相関性がないことに気づくと、これまで張っていた肩肘の力が急に抜けていく。書くことも同じだ。何かを書くということと、書くための準備が整うということにそれほどの相関性はない。ただ書こうとし、書けば書かれたものが生まれていく。人が集まるような何かをしようとし、そのために動けば、会場は後から人が集まるようなものになっていくとも言えるだろう。

おいおい、この文章自体ポメラの導入によって書けてるんじゃないの、という突っ込みもできそうではあるけれど、デリダ流に言うならば書こうとする意思という内的な要素と書くための環境という外的な要因は切り分けることができず、相互に関連し合っている。ポメラを知ったのは「書く講座」に来てくれた木下さんが教えてくれたからで、書く講座は雑誌「言語」を共同編集している大谷さんがいるから生まれた企画で、雑誌「言語」を発行しようと言い出してもんどり打って原稿を形にし続けてきたのは僕だ。そして年末に木下さんからポメラのことを聞いて早速買ってしまって、こうして電車の中で書くというくらいには、どうやらぼくには書くという意思があるらしい。

電車が比良の一駅手前に到着する。ぼくはこれからこの文章を保存して画面を閉じる。