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2019年3月24日日曜日

誇りを失いかけたあなたという僕へ

自分を救ってくれたような恩を感じる人。尊敬し、敬愛し、人生の師のようにすら思うような人であっても、こんなことを言っていたらすぐに距離をとって、何が起きているのかをよくよく見てほしい。


あなたは無意識のうちに人を操ってエネルギーを吸っている。

何々さんは自分のことを見てもらうために周りの全てを利用している。

人から優しくされたいために弱さや寂しさを装って偽りの自分を演じる人がいる。


その人がどのように世界を見ているかは、その人自身がどのようなあり方をしているのかを表している。鏡写しのように、とはよく言ったものだ。

それを言っている当人こそが、人を操作し、周りを利用し、人を惹きつけるためになりふり構わず役を演じている、そんな風には考えられないだろうか。信じたくなくとも、信じるとか信じないというよりも、その可能性を視野に入れて目の前を見てほしい。

誰だって多かれ少なかれ人に肩を預けたり、預けられたり、気を引いたり惹かれたりして生きている。そんなことを言われて思い当たらない人間などいない。

わざわざそれだけを取り出して、真理を掴んだかのように言葉にしてしまう人、それを人にぶつけるように言う人からは、一体どんなふうに世界が見えているのだろうか。

その人が本当に振り向いて欲しい人は誰なのか。誰だったのか。それは本人が自分で自身の暗闇に目を凝らすより他に見るすべはない。

自分自身の闇に目を背けてしまった人には、目の前に誰がいても、誰が来ても、それが誰なのかわからなくなってしまうのかもしれない。それが暗すぎてよく見えないのか、眩しすぎて目を開けることができないのかは分からないけれど、とにかく誰でもいいから近くにいてくれることを望む。そのための努力は惜しまない。その人に才覚があれば、多くの人が集まるような技術を身につけるだろう。そうして近くに来た人には、同じように闇に目を背けた自分を救ってくれたように感じる人も出るだろう。

それがどんな悲惨な物語を量産するのか、誰も気づくことはない。もう、その根元を見る人は誰もおらず、覆い隠された構造は、覗くことを誰ともなく禁じられてしまう。

できればすぐに逃げ出して欲しい。できなければ一歩でも二歩でも下がって、自分や周りに起こっていることを注意深く観察して欲しい。

あなたにはそもそもそのゲームに付き合う必要も、義理もない。あなたが抜ければ、それを埋める別の誰かがその場所に収まる。もともとあなたが誰なのかその人に見えてはいやしない。必死に培った知識と技術で、誰にでも当てはまることを無視できない言葉で投げかけているだけだから。

あなたが面白いと思うことをし、あなたにとって大切な人を大切にするために、誇りを持ってあなたの人生を謳歌してほしい。そんなこと、頼まれるようなことじゃないことは知っていながら、あの時の僕へ。そして、世界のどこかにいるかもしれない自分の誇りを見失いそうになっているあなたへ。

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